コラム

うつ病の病態生理と診断 ― 薬剤師が押さえるべき基礎知識

うつ病は、現代社会において最も一般的な精神疾患の一つであり、薬剤師が日常業務で関わる機会も少なくありません。患者に適切なサポートを行うためには、うつ病の発症メカニズムや診断基準について理解しておく必要があります。

この記事では、うつ病の病態生理や診断の際に用いられる基準、似た症状を示す他の疾患との見分け方など、薬剤師として知っておきたい基礎知識を解説します。

うつ病とは ― 概要と社会的背景

うつ病は「心の風邪」と呼ばれるほど、現代社会において一般的な精神疾患となっています。国内のうつ病患者数は年々増加傾向にあり、特に近年は、若年層や働き盛り世代での発症が顕著です。 この背景には、過度なストレス社会、人間関係の希薄化による孤立、慢性的な睡眠障害など、現代特有の生活環境が深く関与しています。薬局やドラッグストアで働く薬剤師にとって、うつ病は日常的に接することの多い疾患の一つです。患者の訴えや処方内容から病状を把握し、適切な服薬支援を提供することが求められます。

うつ病の病態生理

うつ病の発症メカニズムは完全には解明されていませんが、複数の仮説が提唱されており、最も広く支持されているのが「モノアミン仮説」です。これは、脳内神経伝達物質であるセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンの働きが低下することがうつ病の中心的な仕組みであるとする考え方です。これらの神経伝達物質が減少することで、感情のコントロール、やる気、喜びといった精神的な働きが妨げられると考えられています。

加えて、近年注目されているのが神経可塑性の低下です。長期間にわたるストレスや神経伝達物質の異常によって、海馬や前頭前野などの脳の領域で、神経細胞の新たな生成や成長が抑制され、脳の適応力が低下します。

この変化が、抑うつ症状が続いたり、物事を考える力が落ちたりすることにつながるとされています。

さらに、ストレスに対する反応を調整する視床下部-下垂体-副腎系(HPA軸)の機能異常も重要です。うつ病の方ではストレスホルモンであるコルチゾールが過剰に分泌されることが多く、これが神経細胞にダメージを与えたり、HPA軸の調整機能が乱れたりする原因となります。

最近の研究では、炎症性サイトカインや免疫機能の異常もうつ病に関与していることが分かってきました。慢性的な炎症がセロトニンの代謝に影響を与え、抑うつ症状を引き起こす可能性が指摘されています。 このように、うつ病は生物学的な要因、心理的な要因、社会的な要因が互いに影響し合う複雑な疾患であり、単純に脳内の化学物質のバランスが乱れるだけでは説明できない、多面的な側面を持っています。

うつ病の分類と類似疾患との違い

うつ病の診断において、正確な分類と他の疾患との見分けは治療方針を決める上で非常に重要です。

大うつ病性障害と双極性障害の見分け方

うつ病のエピソードを中心とする疾患は「大うつ病性障害」であり、最も重要な鑑別疾患が「双極性障害」です。うつ病が抑うつ状態のみを繰り返すのに対し、双極性障害は抑うつ状態と、気分が異常に高揚する躁状態の両方を繰り返します。

うつ状態の症状は両者で酷似しているため、初診時にはうつ病と誤診されることも少なくありません。双極性障害の患者に抗うつ薬を単剤で投与すると、躁転(急に躁状態になること)を誘発したり、気分の波を不安定化させたりするリスクがあるため、治療薬の選択は慎重に行う必要があります。

 薬剤師として、患者から「気分が非常に高揚し、ほとんど眠らなくても活動的だった時期がある」などの情報を得た場合は、双極性障害の可能性を考慮し、医師に情報提供することが重要です。

その他の見分けが必要な疾患

特定のストレス因に対する反応として抑うつ気分が生じる「適応障害」や、強い不安が主症状である「不安障害」も、抑うつ症状を伴うことがあります。また、甲状腺機能低下症やがん、パーキンソン病といった身体疾患が原因で、二次的に抑うつ状態が現れることもあるため、これらの鑑別も欠かせません。

薬剤性のうつ症状について

治療に使われている薬剤によって、うつ症状を引き起こす「薬剤性うつ」が発生する可能性にも常に注意が必要です。

特にインターフェロン製剤や副腎皮質ステロイドは、うつ病を誘発する薬剤としてよく知られています。その他、一部の降圧薬(β遮断薬、レセルピンなど)、抗パーキンソン病薬、消炎鎮痛薬などでも報告があります。 薬物治療を開始した後に抑うつ症状が現れた場合は、薬剤性うつを疑い、原因薬剤の中止や変更で症状が改善するかを確認することが重要です。

うつ病の診断プロセス

うつ病には客観的な指標となるバイオマーカーが確立されておらず、診断は国際的な診断基準に基づいた医師の症状評価が中心となります。そのため、多角的な情報から慎重に判断することが重要です。

うつ病の診断基準「DSM-5」について

現在、うつ病の診断で世界的に用いられているのが、米国精神医学会の診断基準「DSM-5」です。これによると、うつ病の中核症状である「抑うつ気分」または「興味・喜びの喪失」のいずれかを含む複数の症状が、2週間以上にわたって持続していることが診断の前提となります。

さらに、これらの症状によって学業や仕事などの社会・職業的機能に重大な支障が出ていることも必須の条件です。

診断時に評価される主な症状には、中核症状のほか、食欲の変化、睡眠障害、意欲の低下、罪悪感、集中力の低下などが含まれます。

誤診や見逃しを防ぐための総合的評価

診断を確定するため、医師は問診・心理検査・身体検査を総合的に評価します。

問診では症状の詳細や生活への影響を丁寧に把握し、心理検査で重症度を客観的に評価します。さらに、身体検査で抑うつ症状を引き起こす他の病気の可能性を除外します。 特に初期診断時は、患者からの情報だけでは全体像を把握しきれないこともあります。そのため、誤診や見逃しを防ぐためには、可能であれば家族など周囲からの情報も参考にし、多面的な評価が行われます

うつ病に関連する身体症状とそのメカニズム

うつ病は精神症状だけでなく、さまざまな身体症状を伴うことが特徴です。薬剤師が身体症状から精神疾患の可能性を考える視点を持つことは、早期発見につながります。

睡眠障害

最も多く見られる身体症状が睡眠の問題です。特に、朝早く目が覚めてしまう「早朝覚醒」や、寝ても疲れがとれない「熟眠感欠如」が特徴的です。これは、うつ病における体内リズムの乱れやコルチゾールの分泌異常と関係しています。不眠を訴える患者に対しては、他の抑うつ症状がないかを丁寧に確認することが大切です。

食欲・体重の変化

食欲が落ちて体重が減るのが典型的ですが、一部の方では食べ過ぎや体重増加が見られることもあります。これらは脳の視床下部という部分での食欲を調整する働きの乱れや、セロトニン系の異常が関わっていると考えられています。

その他の身体症状

原因が特定できない頭痛、肩こり、めまい、便秘や下痢、腹部不快感といった身体愁訴も多岐にわたります。これらの症状は、セロトニンなどの神経伝達物質が痛みの感受性にも関わっていることや、自律神経系の機能不全などがメカニズムとして考えられています。

薬剤師が理解しておくべき診断後の流れ

うつ病の治療は、「休養」「薬物療法」「精神療法」が三本柱となります。

軽症〜中等症では、十分な休養を確保した上で、SSRIやSNRIといった抗うつ薬による治療と、認知行動療法などの心理社会的支援を組み合わせて行われるのが一般的です。

自殺のリスクが非常に高い場合や、食事がまったく摂れないといった重症例では、専門医による入院治療や電気けいれん療法(ECT)なども治療の選択肢となります。 診断されてから症状が良くなるまでには時間がかかることが多く、この期間にきちんと薬を飲み続けられるかが治療成功のカギとなります。薬剤師は、医師の診断意図や治療方針を正しく理解した上で、なぜその薬が選ばれたのか、予想される副作用や効果が現れるまでの期間などについて、患者さんに分かりやすく丁寧に説明し、治療継続を支援することが求められます。

まとめ

うつ病は、脳内の神経伝達の異常、神経可塑性の変化、ストレス応答系の機能不全などが複雑に絡み合って発症する複合的な疾患です。その診断は、DSM-5などの基準に基づいた症状評価が中心であり、双極性障害や身体疾患、薬剤性うつとの鑑別が極めて重要となります。

薬剤師は、うつ病の病態生理や診断プロセスを深く理解することで、処方意図の的確な把握、質の高い服薬指導、副作用の早期発見、そして治療アドヒアランスの向上に大きく貢献できます。 精神疾患分野においては、専門的な知識はもちろん患者の不安に寄り添い、信頼関係を築く姿勢が何よりも重要です。薬の専門家として、うつ病に苦しむ患者を多面的に支援していくことが期待されています。

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